2014年御翼12月号その2

エルヴィス・プレスリーの画像、使用許諾

 

 「ロックの王様 エルヴィス・プレスリーの真実」という題のトラクト(伝道用パンフレット)をアンカークロス出版で発行するために、ある方から20万円の献金があった。エルヴィスの肖像権は複数の団体で管理されているが、著名人の画像を管理するある会社では、写真1枚につき7〜10万円の料金を請求する。画像は数枚使いたいと思っていたので、これでは予算を超えてしまう。画像を提供する会社が所有していなかったのは、エルヴィスが初期の頃、讃美歌だけを歌ったLPのジャケット写真である。その肖像権を持つレコード会社から、先日、エルヴィスのLPジャケット写真をトラクトに使ってよいとの使用許諾が下りた。CD情報入れることで、料金は一切かからないという。以下は、トラクトの原稿の要約である(元の原稿は「ですます」調)。
 ロックの王様エルヴィス・プレスリー(一九三五〜一九七七)、彼の本当の夢はゴスペル歌手になることであった。2歳半から両親に連れられ教会に通った少年エルヴィスは、9歳で洗礼を受けるが、しばしば礼拝を抜け出しては、近所の黒人の教会に行き、そこで説教と黒人霊歌に耳を傾けていた。
 一九五四年ロック歌手としてデビューすると、瞬く間にスターとなる。業界では黒人のように歌える白人を求めていたのだ。名声を得た後も、エルヴィスはゴスペル大会に出場し、3度受賞したグラミー賞はすべてゴスペル部門であった。世界的スターになったエルヴィスは、毎週テレビ伝道番組を観て礼拝し、コンサートが終わると、共演したゴスペルグループと夜通し神を賛美することを習慣としていた。周囲の者の悩み事を聴き、聖書を読み、祈って解決策を一緒に考え、困っていれば治療費を払ったり、借金を払い切ってあげた。「有名人の真の姿を知って、がっかりして、嫌いになるということをよく聞く。でも、エルヴィスの場合は正反対で、会ったらファンになったと言う人はすごく多い」と元バンド・メンバーは証言する。エルヴィス・プレスリー、その真の姿は派手なイメージとは異なり、真面目で几帳面、神の御心の実現を望む謙虚な男だった。
 勿論、彼が「聖人」などではなかったということは、本人が一番良く知っていた。一九五八年のイースター礼拝後、エルヴィスは、「牧師先生、僕は最も惨めな人間です。使いきれないほどの金を持ち、何百万人ものファンがいて、友達もいる。それなのに、先生から、してはならないと教わったことをしてしまい、するべきことをしていません」と相談している。これは聖書の中で、使徒パウロが、「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。…わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」(ローマ人への手紙7章より)と言ったのと同じ心境である。パウロが「だれが私を救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」と続けて言っているように、キリストの十字架によって神の御前における自分の罪がいっさい赦されることを、エルヴィスも確信するに至る。あるとき、テレビ伝道師の夫人から、「あなたが人生を完全に神にお委ねするならば、何百万人もの人々を神の国に導く伝道の第一人者となるよう祈っています」と告げられる。それを聞いた瞬間、エルヴィスの目は涙で溢れ、自分の心を改めて主にささげたのだった。そして、マネージャーの反対を押し切って、ラスベガスのホテルでのショーにも、ゴスペルを持ちこんだのだった。
 一九七七年八月十六日、エルヴィスはストレスから逃れるために、エルヴィスは医師が処方した睡眠薬や鎮痛剤などを誤用し、42歳で心臓発作により急逝する(死因は麻薬というのは誤り)。
 エルヴィスの異母兄弟のリック・スタンレー師(エルヴィスの助手・ボディーガード、現在、エヴァンジェリスト)は、死の前日、エルヴィスがこう祈っているのを聞いている。「神様、私の罪をお赦しください。人々が、私の過ちを受け入れる同情心を持ってくれますように」と。そして、エルヴィスはリックに向かって、「僕たちは皆、キリストのために生きなければならない」と言っていた。

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